プロフィール
武城 文明(ぶじょう ふみあき)さん
1977年、慶応義塾大学工学部を卒業し、株式会社日立製作所に入社。 立ち上げたばかりのコンピュータ事業部に配属となり、’80年代に国産で国内初使用のスーパーコンピュータシステムや基幹業務系・情報系オンラインシステムなど、さまざまなシステムを構築する。’90年に同社を退職後「シュロス・システムコンサルティング」を設立。現在は日本でただ一人の高度IT人材という位置づけで埼玉県庁からも依頼を受け、埼玉県IT総合コンサルタント(通称ITアドバイザー)として活躍の場を広げている。
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営業は確率。100社行けば必ず1件は仕事が来る

それから4年ほどたち、40歳を目前にした武城さんは、自身や会社の将来を改めて考えるようになったといいます。
「このままご好意に甘え続けてはいけない。昔のおつきあいにぶら下がったまま仕事を続けていくことは、当初の“困っている人の役に立ちたい”という気持ちとは違うじゃないか、と思い始めたのです。40歳を過ぎた頃『やっぱりこれからは地元で頑張ろう』と思い立ち、営業を始めることを決意しました。でも、営業なんてしたことないから、やり方がわからない。だから全部飛び込みでした。一部上場の企業にも、いきなり行って『社長と合わせてくれ』って直談判。日立時代に大きな会社ばかり相手に仕事をしてきましたから、物怖じすることを知らなかったんですね。」
飛び込み営業という初めての経験。どのような心持ちで乗り切ったのでしょうか。
「確率です。僕は理数科の人間ですから『100社行けば絶対1件は仕事が来るぞ』って思い込んでいました。だから迷いはなかった。もし1社めで仕事をいただけたら、あとの99社はないかもしれない。60社回って受注できなくても、あと40社行けば絶対“来る”。この思いは今も変わっていません。」
システムコンサルティングの一番のやりがいは、どんなところにあるのでしょう。
「僕のことを待っていてくださる方がいることですね。人のために始めた仕事ですが、いざ始めてみたら、人のためにしているとは思わないんですよ。朝、起きると『今日も僕を待っていてくれる人がいる』と思う。こんなにうれしいことはありません。もっと若い時は、そんなこと感じませんでしたけれどね。だから、お声がかかれば全国どこへでも行きます。報酬よりも、僕のことをわかってくださって、一緒にうちの会社を、一緒にうちの自治体を、もっとよくしたいんだよ、と言われるほうがうれしいのです。」
実は、資金繰りが苦しくて眠れない夜もあったといいます。
「でもね、そんなこと考えたって、でっかい仕事がポーンと入ってくるわけじゃない。それなら、今できることをまずやっちゃおうよ、って。そうすれば絶対に打開できる。一つずつやっていくと、気持ちも結構ラクになるしね。だから若い人によく言うんです。『上司が無理難題を言ってきたりしたら、お酒を飲んだっていいんだよ。飲んで一生懸命グチ言えよ。言う相手がいなかったら作れよ。いいじゃないか1日くらい休んだって。どっか遊びに行ってこいよ。その代わり、帰ってきたらビシバシ仕事やっちゃえよ』って。人によって痛みの感じ方が違うように“一生懸命”って、人それぞれ違いますよね。一生懸命やったことは、他の誰にもわからなくても自分にはわかる。それでいいんですよ。」
地道な営業が少しずつ実を結び、やがて全国にお客様が広がって自治体からもお声がかかるように。武城さんは、これからも人と人とのつながりを大切にしていきたい、といいます。
「僕は、将来、何になろうかと考えたことはありません。『自分が本当に好きなことは何だろう』って、そればかり考えていました。30代後半になって、やっと見つけられましたが、それを仕事にして今までやってこられたのは、高校時代の恩師を始め、日立時代の先輩やお客様、地域の皆さんのおかげ。僕は本当に多くの方々に支えられているのです。」
何があっても前向きで、どんなことにも一生懸命な武城さん。お客様のことを第一に考える誠実で真摯な姿勢に、多くの人が集まってくるのでしょう。仕事だけでなく、生きていくうえでも大いに学ぶところがありますね。

経済産省 国家試験 情報処理技術試験のプリント
基本情報技術者試験を習得して欲しいために、常に数十部を持ち歩いています。基本情報技術者試験は車の免許とすると、他の資格はF1の免許。「車の免許を持っていないのに、F1の免許を持っていても何の信憑性もないでしょう」と武城さん。土台を固めた上で、みなさんの好きなスキルを習得してください。みんなに配れるよう、持ち歩く。武城さんの若いエンジニアへの想いが伝わるアイテムです。






