
プロフィール
武城 文明(ぶじょう ふみあき)さん
1977年、慶応義塾大学工学部を卒業し、株式会社日立製作所に入社。 立ち上げたばかりのコンピュータ事業部に配属となり、’80年代に国産で国内初使用のスーパーコンピュータシステムや基幹業務系・情報系オンラインシステムなど、さまざまなシステムを構築する。’90年に同社を退職後「シュロス・システムコンサルティング」を設立。現在は日本でただ一人の高度IT人材という位置づけで埼玉県庁からも依頼を受け、埼玉県IT総合コンサルタント(通称ITアドバイザー)として活躍の場を広げている。
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好きなことを見つけて日立を“卒業”
前回は武城さんの生き方を決めることになったきっかけや、日立製作所でのご経験についてお話ししました。今回はシュロス・システムコンサルティングを立ち上げるきっかけとなった、アーサー・アンダーセンの仕事に同行した時のお話からお伝えしましょう。
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アーサー・アンダーセンは、当時アメリカ・シカゴにあった大手監査法人で、世界最大規模のコンサルティング・ファームであるアクセンチュア株式会社の前身です。
「英会話はまったくできなかったのですが、ときどき聞こえてくる専門用語と、提案書を見れば内容がわかります。『ここには○○を導入して、あそこには××を』と、なんだか楽しそうで。何回が続けるうちに“これだ! ”と思えてきたのです。お客様がこれをやりたいと言ったら、それをアシストしてよりよいものにする、これこそが僕のやりたいことだと。お客様と一緒に考えながら、何を選択してどう進めていくかを決めていく。それが僕にとって一番うれしいことなんだと気がついたのです。」
初めてシステムコンサルタントという言葉を知り、その仕事の楽しさを知った武城さんですが、そんな頃、日立製作所では現場を離れて、管理職への異動の辞令が出ていました。
「もう、席も用意されていたんです。2か月ほど考えた末、上司に『他にやりたいことが見つかったので日立を卒業します』と言って辞表を出しました。」
その時、武城さんは36歳。今から17年前のことです。日本ではシステムコンサルタントという言葉すらなかった時代に、シュロス・システムコンサルティングを立ち上げました。
当時としては“最先端”だったわけですが、どのようにお得意先を開拓してきたのでしょうか。
「システムコンサルタントなんて誰も知らないのに、そんな名刺を作ったって仕事は来ません。『今までは日立という看板があったから、どこへ行ってもみんな僕の話を聞いてくれていたんだ』と痛感しましたね。そんなところへ、日立製作所時代に仕事をさせていただいた大企業のお客様からお電話をいただいて。“日立を辞めて何か始めたって聞いたけど、仕事あるのか”と聞かれたので、正直に“いいえ、ないです”と答えたら“じゃあ日曜日に来い。うちの孫会社に話をつけておくから”と。本当にありがたかったですよ。他にも“あの時、助けてもらったから”とお知り合いを紹介してくださったり、おつきあいのあった方の奥様から電話をいただいたり。いろいろな方にお世話になりました。」





