スーパーエンジニア特集

プロフィール

シュロス
・システムコンサルティング

http://www.schloss.jp/

1990年創業、埼玉県さいたま市に事務所を置く。個人商店から中小企業、大手企業に至るまでITに関するトータルプロデュースを行い、高い評価を得る。1台のパソコンから始める「IT化への第一歩」の支援、ビジネスモデルの構築、インターネットによる「お客様のビジネスネットワーク」のプロデュースなど幅広くコンサルティングし、現在は埼玉県庁からも依頼を受けて活動の場を広げている。


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高校時代の恩師の言葉が僕の生き方を決めた

武城さんの生まれは福井県の越前市。お父様の転勤で小学校を4回変わりました。現在も暮らす埼玉県さいたま市(旧浦和市)へ引っ越してきたのは、小学校卒業を目前にした6年生の3学期。市立中学を卒業後、入学した県立浦和高校は地元でも有名な進学校で、当時は毎年100人も東大に合格していたといいます。

「高校1年までは、そんなに勉強しなくても成績はそこそこでした。ところが2年生になって始まった物理の中間テストが、なんと17点! 今までに取ったことのない点数ですよ。それなのに、一緒に遊んでいた友達は90点も取っている。勉強しなくてもテストでいい点を取れる人がいるということが、よくわかりました。努力はしなくちゃいけないけど、努力がすべてではないんですよね。だったら僕はどうすればいいのか。考えてもわからなくて、物理の先生に相談しに行ったのです。」

その時の先生の言葉が、武城さんの人生を大きく変えることになりました。

「先生は『君ね、こんなテストができなくたって困らないよ。早く忘れてしまいなさい。好きなことをやればいいじゃないか。』とおっしゃいました。そうか、好きなことをやっていけばいいんだ。目からウロコが落ちるとはこのことですね。僕はその日から、好きなことを探し始めました。」

“好きなこと”を探し続けて日立製作所に入社

高校を卒業し、慶応義塾大学工学部計測工学科に進学。

「就職先を考える時期になっても、自分は何が好きなのか、何をやりたいのか、まだわかっていませんでした。当時の日立製作所は家電から重電まで事業内容がいろいろあり、部門が多かった。この先、好きなことが見つかった時、そちらに移れる“受け皿”が多いのはいいな、と思ったのです。今と違って当時は終身雇用が常識でしたから。」

成績優秀な学生は教授推薦で入社しましたが、武城さんは試験を受けて日立製作所に入社。同期の300人のうち、ただ一人、コンピュータ事業部に配属されました。

「新入社員研修の時、配属先の希望を聞かれました。当時の花形は、国家プロジェクトである原子力と新幹線に、超高層ビルのエレベーター。希望が通るかどうかはほぼ成績順で、僕は、やっと日立に入れた試験組ですから。コンピュータ事業部は創設されたばかりで、ここだったら入れそうだと思って○をつけました。そこに○をつけたのは僕一人だったんです。」

最初は工場勤務。小田原工場の製造ラインに配属され、ネジを100個ずつ袋詰めしたり、電動ドリルでネジ穴を開けたり、大型コンピュータの外装の塗装をしたり。

「お昼を食べたあとは眠くなって、自分では100個、詰めたつもりが99個になっていたり103個だったり。『君は最高学府を出ているのに数も数えられないのか』って怒られました。『ネジ止めする部品の数とネジの数が合わないと他のラインが全部止まるんだぞ』って、そんなことが何度も。電動ドリルで開けた穴が曲がっていて、それを休日に何人かで全部やり直した、と叱られたこともあります。電動ドリルを使うのも初めてだし、ネジ穴一つ開けるのにも“巧の技”があるなんて思ってもみなかった。認識不足だったんです。」

また、日立化成の工場で大型コンピュータのケーブルを作ったこともあるとか。「1本1本、ケーブルの作り方を教わりました。神奈川工場に戻り、そのケーブルを使ってシステムを組み立てたら、次はテスト。部品作りから、組み立て、検査までやらせてもらって、本当に勉強になりました。行く先々でいろいろな人に叱られたことも大きな財産になっています。」

約2年間の工場勤務の後、武城さんは本社へ異動に。「あの武城さんを一番叱ったのは自分だ」「武城さんは俺が鍛えた」と自慢する工場の人たちがその後も応援してくれたそうです。

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